「地球環境を改善したい」
「美しい地球を子供達に」
このような気持ちになったのは、二つ理由がありました。
一つは両親の影響があったと思います。
両親ともに、自然を大事にする考え方をもっており、レジャーや旅行は自然豊かな海、山、川などに連れていってくれることが多かったように思います。
地元、八王子の高尾山にはよく登りましたが、山頂に設置されているゴミ箱にゴミを棄てようとしたときに、父が「持って帰りなさい」と言いました。「ゴミ箱があるのだからいいじゃないか」と反論したのですが、父は「山にゴミを残してはいかん」とゴミ箱を使うことすら許してもらえませんでした。
自然を汚すということに、とても気をつけて生活をする両親でした。
職業も、父親は衛星写真を使い、森林破壊の影響や異常気象、ダムによる自然への影響などのデータ解析をしていました。
母親は、一人で瓶などを集めてはガラス工場に持って行ってました。
そのうちに近所の方の瓶まで集めるようになり、集まる量も年々増え、しまいには回収用の車まで使って、多数の仲間と回収業務をするリサイクル団体になっていました。当時大学生だった私は、時間があるときに回収車の運転などを手伝った記憶があります。
当然、幼少のころや大学生のころ、「自然を守ろう」などとは全く考えていませんでした。
しかし、両親と暮らしてる間、毎日の食事は有機野菜や地鶏で作ったもの、遊びは自然の中、仕事やボランティアも環境保護と深く関係している活動でした。
いつの間にか、「自然は守らなくては」という価値観が毛穴から入っていたのではないかと思います。
そして、そのことには30歳手前まで気づくこともありませんでした。
もう一つの理由は、中村天風著「運命を拓く」を読んだことだと考えています。この本は大学時代のラグビー部のキャプテンをしていた先輩が薦めてくれたのがきっかけでした。
それまではお恥ずかしながら読書はあまりする方ではなかったのですが、中村天風先生の力強い言葉にすっかり感嘆し、毎晩寝る前に本のページを精読してから寝るようになりました。氏が何度も言っていた、「人の役に立ちなさい」ということを真剣に考えるようになりました。
当時三菱銀行で融資業務をしていたのですが、どうしたらより人の役に立てるのかを自問自答する毎日でした。
銀行の仕事にも慣れ、気持ちに余裕も出来てきていたころだったのだと思います。
両親の教育と、中村天風氏の本のメッセージが融合し、
「環境改善を通じて世の中の為になろう」
という気持ちが芽生えていたのです。
なので、自分がビジネスとして行う活動が、本当に環境の改善に繋がる活動なのかどうか、注意していきたいと思っています。
例えば、プラスチックスクラップAとZを例にあげてみます。
プラスチックスクラップ A :きれいで、リサイクル加工が簡単で今は別の業者がリサイクルしているもの。
プラスチックスクラップ Z :異物などがありリサイクルしにくく、廃棄物業者が焼却処分しているもの。
リサイクル業者のほとんどは、このAを集めようと必死に営業をしている業者がほとんどでしょう。しかし、誰でもできる材料Aを集めても、同じパイの奪い合いで、地球規模で見れば何の生産性もないのです。
逆に、焼却処分されている材料Zをリサイクルし、再び材料とすることは、地球の資源を今までよりも有効に利用したことになります。(難しいLCAの議論は横に置いておきます)
もちろん、材料Aをリサイクルすることも大事ですが、この材料Aばかりを追いかけている方を見ると、リサイクルをあくまでも「仕事だから」「食うために」やっているように見えてしまいます。
だからといって、そんな輩を見下しているわけではなく、弊社は「真の意味で」
地球環境に貢献したいという気持ちを再確認するわけです。