2004年に廃プラを輸出する事業で独立を果たしました。
その時に行っていたビジネスは確かにプラスチックリサイクルでした。
日本国内の工場から発生するプラスチックのスクラップを買取り、それをコンテナに詰め込んで、香港経由で中国に輸出するのです。
当時は中国が急激に工業化が進んでいる時期とも重なり、大変な需要がありました。日本国内から輸出する業者も、ブローカーの香港人も、輸入する中国人も、最終的に廃プラを使うユーザーも皆が大変儲かりました。
儲かることがわかり、日本国内では多数のスクラップ輸出業者が乱立し、大変な競争になりつつありました。
弊社もそのなかの1社であったことは間違いないのですが、いつもコンペティターと価格競争をするなかで、ひとつ疑問が浮かんできました。
この仕事は、僕がやらなくなっても誰も困らないのでは、、、
他の誰かが、僕の仕事をそのままやることができるな、、、
同じパイの奪い合いは、地球規模で考えたときに、何の改善もなされていないのです。どの会社でもできるプラスチックリサイクルはすぐに陳腐化して価格競争に陥ります。
目指すのは、
「他社がやっていないこと」
かつ、
「真の意味で地球環境が改善される」
ということです。
弊社の場合、それはラミネートフィルムのリサイクル事業がそれに該当するかと思います。
当然、弊社の事業はラミネートフィルム以外のビジネスもあります。
他の会社でもできるビジネスもあります。
しかし、弊社は以前、他社ができない仕事をするということにこだわり、失敗をしたことがあります。
約15年ほど前に、ラミフィルムのリサイクルに取り組み始めたころ、ラミフィルムのリサイクル工場を立ち上げました。このときに、廃プラの輸出業務は「誰でもできる仕事」と考えて、を全て止めて
しまったのです。
残ったのは、技術的にも難しい、弊社にとっても初挑戦のラミフィルムのリサイクル事業だけ、、、
当然、事業はスムーズに進んでくれません。加工も製造したペレットの販売も苦戦しました。販売できなければ、いくら製造しても現金が回収できないのです。
結果、財務内容的には大きなダメージを受けることになり、その回復にはだいぶ時間を要し、苦労しました。
新しいチャレンジをするためには、それを支えてくれる事業が必要なのです。
誰でもできる仕事であっても、利益を得ることができる限りは継続するべきだと考えを変えるようになりました。
誰でもできる仕事であっても、その事業から得た利益で難しいチャレンジをする資金的な余裕が生まれれば、無駄ではないのです。
従って、弊社の業務のなかで他社でもできる業務は、難しいチャレンジを支えるために行っていると考えています。
他社ができないリサイクルができれば、当然それはお客様の廃棄コストの軽減に繋がり、お客様のお役に立てるということに繋がります。
地球環境の改善と顧客への貢献を両立させるべく、今後も努力致します。