年末の餅つきに続き、年始は挨拶と墓参りに実家に行っておりました。
私がこのように、環境に関する仕事をするようになったのは、この両親の生活というか、考え方というか、価値観の影響を受けていると自己分析をしています。
無意識のうちに選択した道でも、ベースにある判断基準は両親から小さいころから教わったことではないかと思います。
いや、ひょっとして教わってもいないかもしれません。両親は両親なりの考え方で生活をしていて、その生活になんの疑問も感じないで一緒にいただけのような気がします。言葉などで改めて教わったことはそんなに多くはないと思います。
さて、上の写真は実家に約30年ほど前からあるストーブです。確か、両親がカナダに行ったときに買ってきたのではなかったかと思います。
ストーブの値段よりも、カナダからの運送料金や煙突工事、耐火レンガの工事のほうが高かったと聞いた覚えがあります。こんなストーブを買ったのも、両親の価値観である「自然な暮らし」ということと、「廃棄物を利用する」という考え方があったと思います。
自然というのは、最も原始的な方法という意味かもしれません。両親には、昔ながらの方法を採用する傾向がありました。もう一つは、植木屋さんや、建設業の方が木材の廃材を庭先に届けてくれて、それを父親が巻き割りして、乾燥させてストーブの燃料として利用します。
これに加えて普段から外食などをしたときに使った割り箸を集めています。同席した方の使用済み割り箸なども集めて持ち帰り、ストーブの焚き付けの際に利用します。
参考記事:割りばしをお店で持ち帰るときの注意点とは?
更に、自宅で発生した生ごみを乾燥させて、これも燃料として利用します。この日は乾いたみかんの皮が燃料として待機しておりました。
このような、身の回りにある廃棄物を利用してストーブを使って暖をとるわけですが、寒い冬の朝、新聞紙と割り箸からマッチで火をつけてから温まるまでは時間がかかります。ある意味、非常に不便だったのを覚えています。こんな不便さに子供たち(私と弟のこと)は、疑問を差しはさむことなく、普通に暮らしていたわけでございます。まだ、結構実家のエコ生活ネタはありますので、折をみてご紹介したいと思います。
コメント