今年のダボス会議を全体的によくまとめているなと思う記事がありました。
欧州、中国、米国の立場を整理してくれています。
脱石油を明確に打ち出す欧州勢とそれに加勢する中国勢に対して、米国は環境問題を否定するスタンスで臨んでいる。
そして、これらの図式の中で繰り広げられるのは権力闘争だと言っています。
これはある意味で全くその通りだと思います。
どのような環境規制を構築するのかによって、国家間のパワーバランスが激変するというのが現実であり、これは冷酷なパワーゲーム、言い換えれば一種の戦争といってよいものである。
以前は石油などの天然資源などを奪い合うなかで大国間で戦争が繰り広げられましたが、21世紀では環境規制が大国間のパワーゲームの舞台になってくるのかもしれません。
そして、「環境評論家」の筆者は日本はなんとしてもこのパワーゲームの中で日本は勝ち抜かなくてはならない!
と強く主張しています。
日本は米国を除く全世界を敵に回してでも石油へのコミットを主張するのか、そうでなければ、欧州勢の主張に全面的に賛同するのかハッキリさせなければ、この駆け引きで勝ち抜くことは難しいだろう。
確かに日本のスタンスはブレているとの指摘には全く賛同するところです。
ただ、私とは価値観というか、重視する点が異なるように感じます。これは、どちらが正しいとか、間違っているとか議論するつもりはまったくありません。
「違う」ということを指摘するだけであることをご理解いただきたいと思います。
経済評論家の立場から、日本が経済的に不利な状況になることを深く懸念することは仕方ないと思います。
おっしゃる通り、経済的にも、環境対策的にも良い方法を選んでいただきたいと思います。
ただ、私は筆者がグレタさんの主張について以下のコメントをしていますが、この辺については共感しにくいかなと感じます。
グレタさんの言動に心を揺さぶられている段階で、すでに負けのゲームに片足を突っ込んでいる
私は、もう一国の損得については離れて考えることが必要だと思います。今はまだその転換期ですから、筆者のような意見があることも承知・理解していますが、
私は、未来の子供たちが「生まれてよかった」と思えるような地球を残してあげることが大事だと考えています。
そのために一番よい方策が、日本の国益に不利であろうが、それは仕方ないことと考えます。
経済的な側面で、絶対に勝たなければならないという考え方にはなれないです。それより、「今のままの地球を未来の子供たちに渡さなくてはいけないのか?」
と考えます。
未来の子供たちが、「100年前の祖先は何をやっていたんだ!まったくおろかで先のことを考えられない人たちだった」と言われるような気がしてなりません。
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